ケニア日記

ケニアのNGOでのインターン記を綴っていたブログ。今は電器メーカーの財務で働いてます。

高校生にプレゼンしてきた


先日河合塾にて自分のインターンの話をするという機会があり、ちょっと参加してきた。
受験生向けのコース内?で開催されたようで、参加者は高3と浪人生で、なかなか忙しい時期にもかかわらず20人弱が参加していて驚いた。僕が高校生なら絶対に行かなかっただろう。
また、参加が強制されるものではなく自主的なものなので、はじめから興味を持っていた学生が多いとは言え、誰も寝ないで真面目に話を聞いていてまた驚いた。僕は高校の時から人の話を聞くのが苦手でつまらない授業中はだいたい寝るか他の作業をしていたのだが、この能力は大学に入ってますます磨きがかかっていたので、真面目な受験生を見て驚いた。
 
プレゼンの方は我ながらあんまり面白くなかったので、要反省。最後に現役の大学生から受験生へメッセージを、みたいなコーナーでは受験で求められているのは歴史の知識とかそういうものではなく、入試を突破するには何が必要かを考えて、行動する能力であり、それはこの先もきっと役に立つ経験であるというような話をしておいた。
 
 
僕は田舎の学校だったので、周りにたいした塾もなく、そもそも塾のようなところで黙って人の話を聞くのが嫌いなので塾には行かず、学校の授業や補習も必要そうなのだけ受けて後は適当に過ごして自分で勉強していた。Z会もやっていたけど、添削という偉そうなものがあまり好きではなかった。なぜやっていたかというと少なくとも当時は、Z会は一科目でも受講していると、すべての科目の問題と解答が詰まった冊子がもらえる仕組みだったので、受講していた。だいたい提出から受け取るまでの1ヶ月単位のタイムラグがあり、問題を解き終えて忘れた頃に送られてくる添削には何の価値もないと思っていたが、あの問題集&解説は役に立ったし、それがあれば一人で勉強を進められるので好きだった。
 
僕はクソ田舎の出身なので、小学校のメンバーが9割以上そのまま同じ中学に進み、そして高校に進んだり働き出したりするような、そんな地域で育った。このような環境から抜け出たのは小学校のときに塾に行って中学受験をしてしまったからなのだが、まだ塾があったうちの地域はましで、そうした仕組みがなければ中学受験なんて考えないし、塾の能力が低ければ受験も難しい。とにかく昔は生まれた地域に良い塾と良い学校があるか、そしてそこに通えるだけの収入があるかどうかというのが結構子供の人生を決めていたと思う。
 
最近は教育のオンライン化が進み、地域や収入に基づく格差がなくなってきている。つまり、誰でも同じ環境にたって勉強できるようになっている。スタンフォードが知の民主化といって大学の授業をオンラインで発信したり、大学受験を支える仕組みも徐々に生まれつつあり、昔のように必ずしも進学校&大手予備校だけが難関大学に入る方法ではなくなるだろう。田舎の中流家庭出身の人間としてはもっとこういう仕組みが普及して、都市に住むお金を持っているだけのアホを駆逐してほしいと思っている次第である。ところが最近は人物本位の入試を行うなどと頭のおかしいことを国が言い出して、そんなものが始まるとまた都市に住む洗練された受験面接対策を受けられる層が有利になってしまう。もちろんオンラインで面接の対策を行うなどのサービスも出るだろうが、これに関してはオフラインにはなかなか及ばないと思う。
 
話を塾に戻すと、とにかく僕は話を聞くのが嫌いで集団授業など無駄だと思っており、じゃあ学校とか塾はどういうところに意義があるかというと競争意識を煽りモチベーションを高めるという意味において非常に有意義だと思う。オンラインであなたの順位は○○位ですと言われてもフーン、で終わりだが、学校のテストで負けたくないやつに負けるのは悔しいので頑張るのだ。教師がどれだけ頑張ろうとも一人の生徒に付いていられる時間は限られるので、優秀な教師とは生徒のモチベーションを高めて、自分が教えていない時間でも勝手に勉強するようさせる教師だというのが僕の考えだ。
 
 
というわけでこの河合塾の取り組みは非常に良いと思う。自分が話者として参加した企画を褒めるのはどうかと思うが、この講座ではいろいろな外部の人を呼んで受験生に話をしてもらうという講座らしいので、つまらん授業を聞いているくらいなら大学生や社会人に受験生のやる気が出る話をしてもらう方がためになると思うし、塾もこのようななかなかオンラインでの教育ではまかなえない分野を補強していかないと駆逐されてしまうだろう。