ケニア日記

ケニアのNGOでのインターン記を綴っていたブログ。今は電器メーカーの財務で働いてます。

情報弱者はボラれる

初めてインドに行ったとき、何を買うのにも外国人と見るや彼らは現地価格を教えてくれずに、
5倍10倍という値段をふっかけてくるのに驚いた。インド人は、日本人とみるやすぐに話しかけてふんだくろうとするのだが、ケニアはそこまででもない。
ただ、僕はバイクタクシーをそれなりに使うのだが、あいつらは下手にショッピングモールまで連れて行ってなどと言おうものならふっかけてくるし、高いので使わないが普通にタクシーもなかなかふっかけてくる。普通に買い物をする分には問題ないのだが、お土産系の外国人向けの商品はふっかけられまくるので相場観がないとフェアバリューで買うのは難しい。
 
マサイマラに行ったとき、前も書いたとおりあそこには非常に多くの白人観光客がおり、そこに行くまでにいくつかの休憩所を通るのだが、必ずアフリカの民芸品を売っていて、熱心に商売してくる。木彫りの人形とか、アクセサリーとかそういうものだ。そこで木彫りの灰皿を見かけ、なかなかおしゃれだったし、消費を通じてアフリカ経済の発展に貢献しようと考えている僕は(たとえば100円寄付しても多くが偉い人の懐に入るだけなので、100円現地で消費する方がよっぽどお金が必要な人に行き渡る)値段を聞いてみた。4500KESとか抜かしている、5000円だ。舐めやがって。
僕はスラムで作ったアクセサリーの販売などをもくろんでいるし、毎日スラムに通っており、ホテル暮らしのムズングと比べれば相場観は把握している。たとえばMUYOGのアクセサリーは300~500KESくらいで売っている。この灰皿はなかなかしゃれた見た目で、材料費はそこまでかからないだろうが、アクセサリーと比べればに手間がかかっていると思われる。まあ1000KESしないくらいだろうと思った。そこで1000で交渉スタートし(500くらいから行くべきだったが)粘って最終的に1200になった。最初の提示価格の4分の1くらいだ。
 
ぼったくられないこつは、相場観を元に交渉することと、他のものを買うというオプションを提示することだ(買わないアピールも悪くはない)
たとえばバイクタクシーを使うとき、たとえば250と言われると、150で行けるの知ってるんだぞ、と伝えた上で、やっぱりマタトゥで行くわ、30で行けるしと言う(値下げ交渉と他のオプションを提示)。そうすると向こうも分かった分かった150で良いよ、となる。
また、最近はモンバサ旅行を計画しているのだが、マサイマラを紹介してくれたMUYOGの人からはまたもや450ドルという価格を提示された。どんなパッケージツアー知らんがビーチに行くだけでその値段はないだろうと思って丁重にお断りして調べたら、半額以下で収まりそうだ。マサイマラはサファリという性質上ツアーに参加せざるを得なかったが、モンバサは別だ。だいたい旅行者というのは私はこの土地のことをよく知りませんと宣言しているようなものなので、旅行代理店というのは情弱相手のイージーな商売だ。最近はネットの普及に伴いだいぶ改善されてきたが。
 
 
日本に住んでいるとあまり値段交渉をする機会はなく、むしろそういった行為は卑しい行為とでも見なすような風潮があるが、僕は嫌いじゃない。定価というのは買い物のたびにいちいち交渉しなくてすむ便利な制度だが、時に思考停止に陥りがちだ。先日、日本の自宅のマンションのコンセントが壊れてしまったので、管理会社に問い合わせたところ人が派遣されてきて、いろいろ調べて、何か電話し始めて、修理は9000円だと言い出した。直感的に高すぎると感じたので、その場は帰ってもらい後日ネットで調べた業者に依頼したら4000円でやってくれた。
 
つまり、ここで言いたいのは日本は先進国だからとか、みんないい人だからぼったくられないなんて甘いことは全くなく、みんな金儲けに必死なのだ。たとえば牛丼なんかは供給サイドは苛烈な競争にさらされ、情報の非対称性も少ない商品なので適切な価格がついている(むしろ安いくらいだ)。だが、コンセントの修理といういくらが妥当なのかよく分からないところでは油断しているとぼったくられる。
 
だから日本でも、近所のスーパーで買い物するときはこれぼったくられてるんじゃないか、なんて心配する必要ないが、わかりやすい市場が存在しない物やサービスを買うときは注意した方が良い。