ケニア日記

ケニアのNGOでのインターン記を綴っていたブログ。今は電器メーカーの財務で働いてます。

宝くじの行列を見て

昨日銀座をブラブラしていて、タバコでも吸うか、と数寄屋橋あたりにの喫煙所に向かうと、宝くじの行列によって閉鎖されていた。
なにやら今日は大安吉日とかで、すごい行列ができていた。
 
僕はハウスエッジ(控除率)50%強の宝くじなんて死んでも買おうと思わないし、その分のお金をJASDAQあたりの銘柄からダーツで選んで投資する方がマシだと思っている。しかし、期待値的にゴミのような金融商品であろうとも万が一当選すれば数億円だし、それにかける気持ちは分からないでもない。今回気になったのは次の2点だ。
 
①特定の売り場に大安吉日の日に多くの人が並んでいる
②宝くじ売り場に並んでいる人の多くが老人
 
 
①これは本当に理解に苦しむ。繰り返すが宝くじというのは本当に無駄な投資なのだが、確かに、もしかしたら当たるかも知れない。しかしながら、スクラッチのようにくじが配布された段階で当たりが確定しているものであれば、どこかの売り場に当たりくじが偏っている確率は微粒子レベルで存在するが、この手の宝くじは当選発表の時まで当たり番号すら確定しておらず、やらせが存在しないのならばどこの売り場で買おうと当選確率は変わらない。まして大安吉日の日を狙って買うとかアホか、そんなもんで当選確率上がるわけないだろ。
僕が見た人気の売り場は長蛇の列で、おそらく30分以上並ばないと購入できない。よそに行けばすぐ買えるのに。この寒空によく並ぶものだ。夢を買うとはよく言ったものだが、行列に並んでいる暇があったら仕事でもした方が夢はつかめるだろう。
 
 
②に関しては、一体なぜだろうか。確かに平日昼間であり、そもそも普通の社会人は並べないが、それにしたって100%に近い割合で並んでいる人は老人であった。年をとると期待値計算ができなくなるのだろうか?年をとった方が夢を追いたくなるのだろうか?特定の売り場が当たりやすい、大安吉日を信じるなど、老人の方がこうしたオカルトの受容度が高いからだろうか?
気になったので調べてみると、確かに宝くじの購入者は高齢者の方が割合として高かった。高齢者の方が迷信を信じやすく、平日昼間という時間帯を考えれば、この行列も納得だ。気になるのは彼らは若い頃は宝くじに興味がなかったが年をとってアホになってしまった、もとい夢を追うようになってしまったのか、それとも昔からアホだったのかどちらなのだろうということだ。もし前者なら高齢化社会を迎える日本の宝くじマーケットの未来は暗くはないだろう。
 
最近ちきりんがメディアのターゲットがシニアにシフトしているというエントリーを書いていたが、この行列を見て高齢者のパワーを感じた。普通の若者は夢を買うためなどと言って平日の昼間から行列に30分も並んで宝くじを買うだけの時間も金も元気もない。しかし高齢者にはある。
また、行列に並ぶ高齢者の多くがスマホをいじらないのはもちろん、本すら読んでいないことにも驚いた。おそらく年をとると時間の流れが遅くなって、行列に並ぶのも苦でなくなるのだろう。悠久にの時を生きるケニア人に近いものを感じた。日々時間に追われる生活をする僕からすれば恐れ多くてとてもできない生き方で、羨ましいことこの上ない。